誰もがそれぞれに生まれながらに持っている「本心(本来あるべき正しい心)」は、「大日(太陽)」に例えられます。大日を宗とし、本心を顕発すれば光を放つ「大日」のように、明るい生命の大道をあまねく照らします。
「金剛経」には阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と唱える者は、実相を生み出し、如来(さとりをひらいた仏さま)を見るとあります。経典の理論を実現すべく、大日宗はこの「実相を生み、如来を見る」ことを宗旨とし、求道者の理想と目標としています。
向かう先を見失ったこの時代において、本心も時世と共に失われていき、心は沈み、落胆し、彷徨っています。それは生命が拠り所を失い、本来の姿を取り戻せない状態にあるのです。
このため、誰もが「即時に豁然として(悟って)、還って本心を得たり」(「維摩経」)を実践しなければなりません。長年の苦行を実践する者や経典の理論の間で堂々巡りをしている求道者は、「実相を生み、法身を見る」を実現することはできません。
「大日宗」は従来の苦行方式を超脱し、儀式や法規の束縛を振り払い、人の心に真っ直ぐ向うことで実相を開発し、「金剛経」の説く実相を生み、如来を見る-即ち法身を実践するのです。